無気力試合でイエローカード
今朝、加賀市低学年リーグの第2戦がありました。
朝から次男の調子がおかしい…
きのう、USJで何も食べずに遊びまくったのがたたったか
朝、出かけようとすると「胸悪い…」としくしく泣いてやがる
「お父さんはグランドの準備をせんなんから行く!
あとの8人が待っとるんやぞ!分かっとるんか!」
嫁さんが「後から、必ず連れて行くし」
みんなで試合準備をしているところになんとか合流
しかしながら声は出ていないし、覇気がない
1回、2回とも打者一巡の猛攻で圧倒してくる東和チーム
1塁の塁審をしていてイライラする私
試合はコールドが成立するも3回の守備だけさせていただくことに
そこで、リリーフピッチャーに次男
投球練習の間に審判の立場を利用してマウンドに近づく
「火曜日に教えたことを思い出せ。4p田中くんの32巻やぞ、試してみ」
一人目にヒット
「忘れたか〜」
ここから、やっと思い出したのか練習の時のフォームに戻る
試合が終わってから帰りの車の中で
「手応えは?どうやった?」わたし
「はじめてファーボール無しやったかもしれん」と明るい顔
「そうやろ〜〜!ピッチャーゴロを2回もエラー、そして同じイニングに
キャッチャーフライ2回落球。もしかしたら0点やったかもしれんぞ
ちゃんとやっとったら〜」
じつは4P田中くん32巻には伊坂徹が最速球を投げるとき
背番号に斜めにしわがより、普通の速球はふりかぶるとき背番号がしっかり
見えるというものでした。
次男の場合は、しっかりどころか背番号が見えない
まったく上体のうねりがなく、ストライクがはいらないもんだから
おそるおそる手だけで投げているようでした。
練習の時は背番号が見えているんですが、試合になると縮こまっているようです。
背中を意識させたら、今日は良い球がいってました。
さ〜〜〜昼風呂で反省会をするぞ
「え〜〜〜」
「お前ら、2アウト満塁でフルカウントっていう場面が何回もあったけど
1回もスタートは切らないは、声をかける奴もおらん、どうなっとん?」
「それから、それから〜1、3塁でランナーの時、監督からジェスチャーで
大誠、走れ〜って右手で指示してたのに2回とも走らないし!」
「それから、それから、それから〜キャッチャーしているときパスボールで
1塁から3塁まで走られたのが何回あった!?ちゃちゃちゃっと動けま」
「…」
「審判さんもびっくりの無気力試合やったぞ」
「無気力試合って、どんなん」
「こんなんや」とネットで見せる
「ちょっと違うくね?」
「ちょっと違うかんな」
「まっ、明日の3回戦、声を出していけ」
「それはそうと今日の審判さん、じつは甲子園でベスト4まで行った
お父さんらにしたら神様みたいな、お方やったんやぞ〜」
こいこい祭にあのイチローも憧れた小松辰雄と来たとき、大騒ぎになったな〜あの頃
「そんな神様みたいな人が審判をしてくださっているのに
とても残念な試合やった」
「お父さん」
「なんや」
「お土産にコレあげるし」
「…」
by 塁審ダイエット中のムン様
7日の日に当店の店頭を使って映画の撮影を行いたいという電話が
何度かあり、水曜日に若いスタッフの方、10人くらいで下見に
ご来店。たぶん大学の映画サークルかなんかだと勘違いしていた私
どうぞ、好きにつかっていただいて結構ですよ〜と軽く返答。
後日、そのスタッフの知り合いの方から電話があり
「実は俳優の○○さんも来られるんです」
「え〜〜〜〜映画サークルの撮影じゃなかったの〜〜
よかったら出演してくださいとも言われたんですが〜〜〜」
もしかしたら2度目の銀幕???
銀幕デビュー作はこちら
by munsama | 2012-08-04 18:06 | 家族&その他ネタ | Trackback | Comments(2)
>大騒ぎ
古い話だが、輪島出身メルボルン、ローマの水泳の山中毅さんが活躍したときは凄かったと記憶しています。(メルボルンはさすがに知りませんが)世界水泳の放送も当然ない頃でしたから、情報量は明らかに少なかったと思うのですが、「輪島の人だ」と大人が大騒ぎしていたような記憶があります。今回の柔道の松本さんは金沢の人ですが、あの山中毅の時代ほど盛り上がっていないような気がします。石川県人大人しすぎやしないか。北島康介の実家(肉屋)は五輪と世界水泳のたびに大行列ですぞ(一度出張中にたまたま東京駅の大丸で行列並んでメンチカツとコロッケ買いました。30分マチ。味は普通でした。おいしかったです)
少し勝ち進んでから知りました。
ふるさと不足過ぎますね。
日本が2つしか獲ってない金メダルの内のひとつが
石川県の子が獲得したんだから、もっと大騒ぎせんといかんですね
当店も松本金メダルおめでとうセールをすれば良かった…