1.17阪神大震災
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1月17日が来るといつも思い出す。
阪神大震災
あれから20年ですかぁ
あの年に生まれた人達が成人
感慨深いものがあります。
電気が来ない
水がない
寒い
家がない
そんな中で小さい子を育てていくのは大変だったと思います。
あの日はまだ親父も生きていて私はお気楽な毎日
成人式も終わったので朝まで飲んでいました。
卒業アルバムの編集をしていた親父から
「起きてテレビを見ろ。たいへんな事になってるぞ」
阪神高速が傾いている
寸断された高速道からバスが落ちそうになっている
次々と火があがっているのがヘリコプターから撮影されるのですが
消防車が到着できず、どんどん燃えて行く。
石橋さんがボランティアに行くぞと誘ってくれました。
曽和さんと3人で物資を乗せて石橋さんの新車のエスティマで
災害が起こった西宮市に向けて走りました。地図ももたずに…
その時はじめてカーナビがついている車に乗りました。
地図を持たずに行ったのに迷うこと無く到着、便利なモンやなぁカーナビ
と思ったものです。
西宮市に到着すると私達に与えられた仕事は全国から集まって来る救援物資の
仕分けでした。衣類、食料、水いろいろな者が送られてくるのを開いて確認して
決められた倉庫に積んでいく作業
電気がないってのはこんなに寒いもんなんや
朝は水汲みからはじまる、ライフラインはまだ復旧していない
何日かして銭湯が営業をはじめたときは嬉しかったなぁ
加賀市から来た部隊が
「今日で帰るからこのトラックでゴミを運ぶ係をかわってくれ」
かがやきプロジェクトの前委員長のMさんと
今では派手なアルマーニのスーツで飛行機で目立っているKさんでした。
「こんなでっかいトラック、免許もってないし」
「大丈夫、今は非常時だから許される」
知らない街でこんな大きなトラック、怖かったです。
エスティマで寝泊まりすること数日
我々も一旦帰って、仲間を連れて来ることにいたしました。
帰路の途中でよった飯屋が美味かった。
次に訪れたときは炊き出し部隊をつれてバスで乗り込んだ。
災害から3週間くらい経っていただろうか
住んでいる方々は疲れ果てた顔をしていました。
出口が見えない復旧作業と復興
この年から「ボランティア」と言う言葉を度々聞くようになった。
あれから20年です。忘れないようにせんといかん。
今年は預金講で仙台へ行く予定です。
ボランティアをするには身体がいうことがきかないので
せめてお金を使ってこよう。
by 山中温泉のムン様
土日の練習でかなり筋肉痛
良いことです♪
もう一度、気を引き締めて行こう。
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by munsama | 2015-01-19 11:57 | 家族&その他ネタ | Trackback | Comments(0)