山中中学校定期演奏会【響輝】誕生の歴史
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その貴重な第1回のパンフレットが出てきたお話しを去年アップしました。
昨夜、もっと貴重な響輝誕生までの苦労が書き綴ってある
クラブの会報「ひびき」が四十九院のある寺から出土しました。
昨夜、五十嵐一生が今年の芭蕉祭の打合せに帰省してきた。
お決まりのメンバーで夜【たねだ】で呑んでおりました。
五十嵐が「後輩の岩城君を呼んでみよう」と電話
たねだに夫婦でやってきた岩城君が「竹中浩三先生も呼びましょう」と電話
先生も加わってのどんちゃん騒ぎがはじまりました〜〜
岩城君が「凄い物もってきたんですよ〜♪」
クラブの会報「ひびき」
上は定期演奏会が実現する一年前のもの
その次の年の定期演奏会「響輝」が実現される慧のクラブ会報が凄いのなんのって
「ブラスの響き」と名を変えた会報の一号が昭和54年3月12日
第1回 山中中学校定期演奏会【響輝】が行われた昭和54年9月には
なんと41号が発行されています。
約7ヶ月で41号の広報
情熱のなせる業やね〜〜若さのなせる業やね〜
その頃のブラスバンド部の熱さが伝わってきました。
そして竹中先生とのやりとりが克明に書かれた日誌も
五十嵐が書いた言葉に赤線で竹中先生が書き添える
「あなたの言葉は荒すぎる、おなじクラブの仲間に対して使う言葉ではない」
次のページには「先生は損得でクラブをやっているわけではない!」と書いている。
その下に大きく「今年こそ第1回定期演奏会を!」と大きな文字
いや〜〜〜えぇもん見せてもらいました。
竹中先生もアルコールがまわってきて声が大きくなってくる
「お前ら、ちょっと聞けや!あの頃、山中中学校全体の予算が300万円の時代に
先生はブラスバンドに500万円分の楽器を買って欲しいと要望書を出したんや。
しばらくしてから旭教育長から呼び出しがかかったんや
お前はだらけか〜と叱られると思ったら、もっと細かな明細を出しなさい
1年では無理でも3年かけて拠出できんかと思うとると言われたんや
500万円は400万円に減額されたけど、それでも中学校全体を上回る
予算を着けてくれたんや」
「ええ話や〜〜」と一同
「それから先生、深山菜ていうもんを作ることに成功してな」
「そりゃ現在の話やね」
「そうそう、なんとか旅館でつかえんかなぁと思って、どうや田向君!」
となんだかわかんない話が延々と続くのでした。
今年、山中中学校吹奏楽部に入った1年生は、ナント一人だけ…
存亡の危機を迎えました。
このお話しを見て、やっぱりブラスに入ろうって方がおられたら
吹奏楽部の部室のドアを叩いて見てください
by 二日酔いのムン様、わたしは野球部なの
新入部員ひとりという存亡の危機を乗りこえたクラブが男子バレーボール
数年前、新入部員ひとりという危機があり先生はもう終わりだと思い。
そのひとりに「他の部に移ってもええぞ」と告げたのですが
その男子は「ひとりでもやる」と言ってくれたそうです。
何年か前、3年生が一人しかいなくて苦戦している試合を撮影しました。
卒業アルバムのクラブ撮影の時、先生とふたりの写真をいまでも覚えています。
今年、11人も新入部員がはいった男子バレー部!
先生は嬉しくて卒業した彼に電話したそうです。「今年11人も新入部員がはいった!」
その彼は今、名門のバレー部のキャプテンをしているそうです
部員が増えた男子バレー部は去年から保護者会も出来たそうです。
その保護者会説明会にわたしは参加してきました。
なんと長男がバレーボール部に入ったのでした。
私が一番ビックリしています。
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by munsama | 2012-05-11 17:09 | 家族&その他ネタ | Trackback | Comments(2)
この前、出張で東京に行ったとき、スケートの村上選手が書いた寄せ書きを見る機会があったのですが、丸文字ではなくおじいさんが書くような字体だったので驚きました。「今の子はこういう感じなんですよー」と係の人が言っていました。30年前の女子中高生諸君、丸文字は年がばれます、ペン習字を習いましょう(笑)。
>バレー
以前、出張でNECの方の講演を聴いた際、会場に元バレー代表の方がいました。2メーター超の大男、講演者の偉い人より皆そちらに目が行った。
わたし、東京にセミナーを受けに行ったとき
同じフロアーにバレー男子のオーストリア代表か
オーストラリア代表の一行がおりまして、みんな廊下を歩くとき
背をかがめて歩いておりました。
二日間、あの巨人達に囲まれて怖い思いをした覚えがあります。
同じ人間とは思えません