防災意識とボランティア2(う○こはやっぱりやめた)
西宮につくと回ってきた作業は毎日届く救援物資の整理でした。
図書館を倉庫にして水、食料、衣類、ストーブ、その他に分類して
積み上げて行きます。図書館の責任者はとても良い人でした。
しかし、あることが起きてからは少し見る目が変わりました。
近所の方が「水をわけてください」と来られました。
水がないってホントに大変、水道工事のために3時間断水に
なっても大変なのにこの人達は何日も不便な生活を強いられています。
「図書館にたくさん届いているからもってきてあげる」と言って
水を持ち出そうとすると、ええおっちゃんやった責任者の方が
「全員に分け与えられる量が確保されてからでないと差し上げることは
できません」キッパリ!
「何言うんやあんた、ここに実際困った人がおるやないの」
「いえっ上からそう言われてますんで」とおっさん
そう言って聞き入れてくれません。
「そんならわしらの車ん中にあるのをあげるわ」と山中温泉からのものを
さしあげました。役人の常識って何なんやねん!と腹がたちました。
今日もワイドショーは役人の非常識だらけ、教育委員会に児童相談所
いやんなります。
そんな日々を過ごし、一時山中温泉に帰り、加賀テレビで現況を報告して
炊き出し人員を募集して、材料、鍋、旅館の板長さん達を連れて
一路また神戸へ。たしか夢の台小学校だったと思います。
校庭の時計はあの恐怖の時間で止まってました。
その小学校のグランドをかりて、板長さんや居酒屋店主の腕の
競演、カニやらエビ、海産物たっぷりの炊き出しができました。
近隣の住民の方々は「こんな美味しい炊き出しははじめて」と感激
してました。(明日からまた質素な食事との事で・・何か後味悪いが・・)
3度目に震災被害に遭った方々と関わったのが
山中温泉の旅館さんが被災した皆さんを旅館に招待されたときのことです
お迎えのバスにのり、これから行く旅館の事を説明させていただきまました。
そのとき被災した年配の男性が私に言いました。
「わたしたちはあの地震がくるまで当たり前のようにしていたことを
しに旅館に泊まるんだ。だから、御礼は言いません」と。
長いあいだの過酷な被災生活が言わせたことなのでしょう。
2年前、中越地震があり1万人が仮設住宅に住み、いまだに5千人以上の
方々が仮設住宅で過酷な生活をしておられるとニュースで知りました。
国は被災者のためにもっとやれることがあるのではないかと思います。
いま。赤坂に何百億円かをかけて議員宿舎を作っているそうですが
そんな金があるのなら困っている人達の為に使えばよいのに・・・
(家が1000軒は建つんじゃない!きっと)
やっぱり私は国会議員の選挙には投票したくありません。
本当に投票したいと思うすばらしい政策をかかげる人がでるまで
私は国会議員の選挙には行きません。
(昔みんなの前でこう言っていたら町内の肉屋さんに怒られたなあ)
はじめての一票を私に投票させてちょうだいよ先生方
あっウ○コの話をするのを忘れました。
私は2度目に神戸へいった帰りにちびりました。
でもhimajinさんの新車の中でではありませんのでご安心を
(誰に言っているんだろう)
だって熱があったんですもの〜体調悪かったんですもの〜
by 加賀テレビのムン様
ホームページ http://www.kodomonoegao.com/index.html
by munsama | 2006-10-24 13:16 | 山中温泉ネタ | Trackback | Comments(3)
いつもは「こんにちは」と挨拶しかしないムン様、このような活動をされていたなんて感激しました。
真面目そうな面持ち、としか思ったコトが無いのですが、
(そりゃそうだ、挨拶だけじゃ★)お茶目な文章、びっくりです^^;
缶チューハイを飲みつつお邪魔しました。
そんな面と向かって真面目な方なんて言われると照れてしまいます。わたしの場合は周りの友人達がバカなしゃべりかたばっかりなのでうつってしまったようです。普段はいたって真面目です。
また酎ハイを飲みつつ書いていきますので、これからも宜しくお願い致します。